お正月はずっと働いていて
コロナな世の中だから自宅には戻らない予定だったんだけど、
親族に不幸があって急遽自宅に戻ることとなった。
結果的には一週間遅れの正月休みとなった。
ひと段落着いたので栗山町開拓記念館に来てみた。
ちなみに長男さんは部活。
次男さんは興味なしとのことで留守番。
せっかくの自宅帰省なのにソロ活動。
入ってすぐの受付で中でテレビを見ていた
世の中の動向をしっかり注視されていたおじさんにお声がけ。
入館料は100円。
展示の電気と暖房を入れてくれた。
開放感のあるロビー。
他に入館者はいなさそうなのでゆっくり見せてもらう。
追懐往事與誰論 (往事を追懐して誰と論ぜん)
売剣買牛胎子孫 (剣を売り牛を買い子孫に胎す)
辛苦廿年如一日 (辛苦二十年一日の如し)
春風吹満角田村 (春風吹き満つ角田村)
録旧記壬子晩秋
七十一翁静處
明治23年、村の設置が許されると、
郷里の名をとって角田村(現栗山町)と名付けた。
この時の喜びを泉麟太郎翁が詠んだもの。
と説明書きがある。
ちなみにこの写真の方が泉麟太郎さん。
1842生まれで1929年没。
明治時代の開拓者。
1842年は天保13年だから180年位前に生まれた人なんだね。
天保の改革とかって社会で習った覚えがうっすらとある。
入って右側のホール。
でっかい将棋盤がある。
試しに飛車とタバコを並べてみた。
この駒で山崩しをしたら大迫力な感じがする。
栗山町の鳥瞰図。
結構お宝だと思うんだけどもっと見やすいところに展示すればいいのに。
唐突にレコードが聴けるコーナー。
蓄音機の札が見えるけど
多分君は普通のラジカセ。
ってか今の子にはラジカセも昔の機械なのか。
たぶん開館当時(昭和63年)の栗山町の航空写真。
左上から右下にかけてが国道234号線。
栗山駅もまだ古い感じ。
いよいよ展示室に。
入ってすぐの気球についていたボタンを押してみる。
説明の声は聞こえるんだけど
周囲を見渡しても特に変わった様子はない。
頭の中で?が飛ぶ。
気球の乗る部分が映像が見られる部分だった。
ちょっと斬新。
20分程度の映像が見られる。
ちょっと懐かしい感じの風景。
昔と今(といっても昭和末期)の景色の比較。
こういうの大好き。
左から栗山市街、角田市街、継立市街。
民具ゾーンは結構キレイな状態で展示されている。
母ちゃんさんが亜麻に凝っているので
亜麻撒き器の写真も撮っておく。
ちなみにこの器具。
今まで見た中でも結構でかい。
こちらも大好きなジオラマ。
向こう岸が由仁。
手前側が旧アノロ川。
室蘭から栗山に入った時の様子。
少し奥に進むと突然マネキンが話し出す。
ちょっとびっくりした。
その様子をそっと見つめるヒグマさん。
教室ゾーンに入るとやはり声が流れ出す。
石炭ストーブ。
この感じはあまり古臭く感じないけどなぁ・・・。
石炭運ぶ係とかあったよねぇ?
先生。
白髪白髭だけど結構お若い雰囲気?
子どもたちはイキイキした表情だ。
マネキンだけど。
K君~と某栗山町出身の後輩の名前が呼ばれちょっとびっくり。
唐突にある階段。
横に貼っている紙には「階段に上がると懐かしい軋みの音がします」
と書かれている。
敢えてリアルに軋みが鳴るように作られたんだろうか・・・。
すげぇ技術だなぁ。
この辺からは夕鉄ゾーン。
ボタンを押すと小さな電車がす~っと動く。
ホントただす~っと動くだけ。
ランプ類の後ろに錦沢遊園地の写真があった。
今度訪ねてみようかな。
ひととおりグッズが展示されている。
けど、鉄な知識はほぼなしなので
どのくらいの価値の物かは分からず。
壁掛け電話がしゃべりだしそう。
説明とかしてくれたらいいのに。
硬券もいつの頃かなくなったよねぇ。
これはレプリカなんだけど鍬形(くわがた)。
道内の出土例は13か所あるけど現物は小樽総合博物館に
出土地不明のものが展示されている。
本物は東京国立博物館に展示されているとのこと。
出口のところにあった栗山町の開基100年にあたる
1988年生まれの女の子。
同じように男の子。
2021年現在33歳の方々になる。
ちょっと小さくて見えにくいけど
栗山町内の地名の説明。
ホントの最後にあったのが
足踏みオルガン。
さて、管理人のおじさんがとなり(泉記念館)も開けておいたよと
おっしゃってくれたので、
そちらも見学させていただくことに。