端野町祖霊社を訪ねてみた。
ここは何だろ?
場所はさっき参拝した端野神社のお隣の敷地。
碑文を見ると
端野町の開拓について書かれている。
端野町の開拓は明治三十年
六月七日北辺の防備と開拓の
任を帯びた屯田兵一〇〇戸がこの
地に入地 こゝに屯田歩兵第四
大隊第一中隊本部が置かれた
ことにはじまる
続いて翌三十一年にも屯田兵一〇〇
戸が入地 昼なお暗い千古未開
の地に開墾耕稼に励み兵役の
任を完うして本町開拓の礎が
築かれた 当時このあたりには
練兵場があり林の木陰では野
外学科なども行われた 今も
なおしづかりと根を張って繁るヤチダ
モなどはその頃からの原生木である
昭和五十六年十一月三日
開基八十五年
端野町 分村六十周年 記念建之
町制施行二十周年
開拓記念碑。
ここの場所は屯田の杜公園っていうんだ~って読み進めると
ここに端野小学校、端野中学校が設置され・・・って書いてある。
もしかして「廃校をめぐる」の方だったか?
屯田兵練兵所跡の石碑。
練兵所ってくらいだから軍隊の訓練の場所だったんだろうね。
屯田開拓顕彰像と左上に書いている。
像ってよりレリーフ。
左下には
先人の偉業を讃える
北海道知事 町村金五
とある。
加藤弥四郎翁像。
衆議院議長 山口喜久一郎 とある。
像の裏側にあった碑文。
手水舎がある。
ってことはやっぱりここは神社なのかな?
開発功労者之名碑。
開拓じゃなくて開発なんだね。
戦没者の名碑。
ん?また開拓記念碑?
敷地に二つ開拓記念碑があるんだね。
忠魂碑。
コケみたいなのが付いていてめちゃ文字が見にくい。
上の左から右の忠魂碑は~と始まっているので
忠魂碑の碑文なのかも。
右の方に端野町祖霊社と書いている。
wiki先生によると祖霊社とは
仏教における仏壇に当たるものだが、
本来仏壇とは仏像を祭るためのものであるのに対して、
祖霊舎は祖先の霊を家の守護神として祭る点に大きな違いがある。
とある。
なるほど。
ということはここは端野神社の付帯施設ってことでいいのかなぁ?