虻田第二小学校跡(現 洞爺湖町立虻田小学校)を訪ねてみた 2023.9.15

虻田第二小学校跡を訪ねてみたつもりなんだけど、

もしかしたら単に現役校の洞爺湖町立虻田小学校を訪ねてみただけかもしれない。

 

 

校門。

現役校なのでもちろん虻田小学校の表札がついている。

 

飛翔 風光る丘に百年を語る とある。

ギャンブレル屋根のモニュメントはなんだろう?

もしかしたら学校施設の中にこんな場所があるのか

以前あったのか。

 

石碑の裏側。

虻田小学校は櫻ヶ丘と言う地域に旧校舎があったということと、

第二小学校は大正十年に統合されているってことが書いてある。

 

グラウンド。

 

校舎。

建物と塔屋の感じがとても素敵だね。

ヨーロッパな感じを受ける。

いや行ったことはないんだけどさ。

 

グラウンド側に面している校舎。

 

正面玄関。

玄関右は職員室だろうか。

電気がついてるのであまり目立ってウロウロできないな。

 

校章。

 

ニノキン。

ニノキンの背中側の古木が学校の歴史を物語っている。

 

高徳如天とある石碑。

白井柳次郎先生頌徳碑と文頭にある。

 

石碑の裏側。

裏側には昭和十九年九月廿六日の日付けと

虻田町有志

虻田國民學校保護者會

虻田國民學校同窓會

とある。

この頃は国民学校の名前だったんだ。

 

この銅像の方が白井先生。

 

石碑には柳「次」郎先生とあったけど説明看板には柳「治」郎先生とある。

 

ちょっと2015年の航空写真。

キレイだよね。

 

2007年の航空写真。

画像の色味もあるんだろうけど

周囲の木々が2015年のものより茂っている気がする。

 

1974~1978年の航空写真。

正面に向かって左右の校舎が今と違うかな?

塔屋もないしね。

右上にすごく細長い建物があるんだけど

これも校舎だったのかなぁ?

 

洞爺湖町のWEBサイトから沿革を拾うと

明治17(1884)年 虻田第一学区公立虻田小学校として開校

明治25(1892)年 虻田尋常小学校となる。

明治35(1902)年  アイヌの児童の教育をする虻田第二尋常高等小学校を建設。                    

         白井柳治郎(銅像の人)が校長として就任。

大正10(1921)年 虻田第二小学校を統合し虻田尋常高等小学校と改称。

昭和11(1936)年 現在地に校舎が移転

昭和61(1986)年 新校舎が落成

平成18(2006)年 町村合併により洞爺湖町立虻田小学校となり現在に至る。

となる。

 

こうして考えると虻田第二小学校は1921(大正10)年に第一小学校と統合し

閉校している。

ってことでいつもは〆ちゃうんだけど、

この白井先生の行われてきたことはアイヌの児童だけということではなく、

その後のアイヌと和人への教育という面で

ものすごく大きな役割を果たされていたんだね。

100年も前に昨今叫ばれている共生社会やインクルージョンの取り組みを

されていた先鞭者ということで

注目される日が来るのかもね。

 

今回はちょっといつもとは違うパターンの廃校をめぐるシリーズになっちゃった。