東藻琴村立明生小学校跡を訪ねてみた。
あれ?なんか荷物が置かれているぞ。
校門にはしっかりと表札が残されていた。
裏側には建てられた方のお名前が。
苗字は分からないけど貞次郎さん。
昭和31年6月とある。
現在は明生会館というコミュニティセンターになっている。
すごく大きい。
敷地の隅にあった開拓八十年記念碑。
碑文には冒頭で大正3(1914)年に開拓に入り
大正7年に一教室の学校が開校した旨の記載がある。
昭和13年には部落名が現在の明生になるも
昭和20年を過ぎたころには過疎化していったとあるので、
かなり早い時期にあまり人がいない状態になったことが分かる。
グラウンド跡。
太陽の向きを考えると会館の辺りが校舎だったのかもしれない。
大きなハルニレの古木。
もしかしたらこの木だけが当時を見ていたのかも。
ところで根元の看板はなんで向こう向き?
看板の感じから東藻琴村時代にたてられたっぽい。
開拓に入った100年位前からあったんじゃないかな。
明生小学校は1978(昭和53)年に東藻琴小学校に統合となっている。
こちらももうすぐ50年が経とうとしているね。