東藻琴村立明生小学校跡を訪ねてみた 2022.5.8

東藻琴村立明生小学校跡を訪ねてみた。

あれ?なんか荷物が置かれているぞ。

 

 

 

 

 

校門にはしっかりと表札が残されていた。

 

 

裏側には建てられた方のお名前が。

苗字は分からないけど貞次郎さん。

昭和31年6月とある。

 

 

現在は明生会館というコミュニティセンターになっている。

すごく大きい。

 

 

敷地の隅にあった開拓八十年記念碑。

 

 

碑文には冒頭で大正3(1914)年に開拓に入り

大正7年に一教室の学校が開校した旨の記載がある。

昭和13年には部落名が現在の明生になるも

昭和20年を過ぎたころには過疎化していったとあるので、

かなり早い時期にあまり人がいない状態になったことが分かる。

 

 

グラウンド跡。

太陽の向きを考えると会館の辺りが校舎だったのかもしれない。

 

 

大きなハルニレの古木。

もしかしたらこの木だけが当時を見ていたのかも。

ところで根元の看板はなんで向こう向き?

 

 

看板の感じから東藻琴村時代にたてられたっぽい。

開拓に入った100年位前からあったんじゃないかな。

 

明生小学校は1978(昭和53)年に東藻琴小学校に統合となっている。

こちらももうすぐ50年が経とうとしているね。