紋別市立立牛小学校跡を訪ねてみた 2022.9.18

紋別市立立牛小学校跡を訪ねてみた。

 

 

 

 

 

残っていた建物は職員公宅かな?

公宅と考えると結構大きいので

もしかしたら校長先生の公宅だったのかもね。

 

 

公宅跡と思われる建物のそばにあった

上渚滑地区開基百年記念植樹と書かれた杭。

 

 

もう一つ残っていた建物は

立牛地区教育資料館という看板が掲げられていた。

人の出入りはあるのかな・・・。

中には何があるんだろう?

 

 

学校跡によくある神社。

特に名前が分かるものはなかったが

グーグルマップで見ると下立牛神社という名前らしい。

 

 

お社は白と赤のペンキがなかなか目立っている。

めでたい感じはするんだけどね。

 

 

そばには石碑が二つ。

こっちは達筆でいまいち自信がないけど

たぶん馬頭観世音菩薩の石碑。

 

 

二つ目は天照皇大神の石碑。

 

 

学舎の里の碑。

 

 

開校は明治43年とあるのでなんと1910年

今から120年ほど前だ。

この年は伊藤博文が暗殺され

日本に韓国が併合された年となる。

 

紋別市立立牛小学校は1991(平成3)年に

紋別市立上渚滑小学校に統合となり閉校している。