紋別市立立牛小学校跡を訪ねてみた。
残っていた建物は職員公宅かな?
公宅と考えると結構大きいので
もしかしたら校長先生の公宅だったのかもね。
公宅跡と思われる建物のそばにあった
上渚滑地区開基百年記念植樹と書かれた杭。
もう一つ残っていた建物は
立牛地区教育資料館という看板が掲げられていた。
人の出入りはあるのかな・・・。
中には何があるんだろう?
学校跡によくある神社。
特に名前が分かるものはなかったが
グーグルマップで見ると下立牛神社という名前らしい。
お社は白と赤のペンキがなかなか目立っている。
めでたい感じはするんだけどね。
そばには石碑が二つ。
こっちは達筆でいまいち自信がないけど
たぶん馬頭観世音菩薩の石碑。
二つ目は天照皇大神の石碑。
学舎の里の碑。
開校は明治43年とあるのでなんと1910年
今から120年ほど前だ。
この年は伊藤博文が暗殺され
日本に韓国が併合された年となる。
紋別市立立牛小学校は1991(平成3)年に
紋別市立上渚滑小学校に統合となり閉校している。