訓子府町立北訓小学校跡を訪ねてみた 2022.10.15

訓子府町立北訓小学校跡を訪ねてみた。

 

 

 

 

跡地は北訓スポーツ広場との看板が建っている。

 

 

ちょっと横に目線を移すと木々の中にブロックの構造物があった。

もしかして校門だろうか?

 

周囲は大きな木々が並んでいる。

きっと学校があった頃からずっとあったんだろうね。

 

 

大きな木は訓子府町の保存樹木の看板が付いていた。

昭和62年で樹齢が約70年ということだと

令和4年の今では約100年の樹齢ってことか。

一世紀前だよ。

 

 

またブロックづくりの構造物があった。

これは何なんだろう?

 

 

北訓スポーツ広場の看板から西側に回り込むと

学校の校門があったよ。

 

 

文字が薄くなってきているが

表札は残っていた。

ただ、表面のモルタルが随分剝がれてきているので

この姿でいるのはこの先あまり長くないかもしれない。

 

 

裏側には卒業生が贈ったものだよって印がしっかり残っていた。

 

 

校門の横にあった看板。

小「・中」学校跡だったんだね。

表札「北訓 学校」と間が空いていたのは

この辺の事情だったのかもね。

 

 

校門を通り過ぎていくとコンダラ?が残っていた。

いつも思うんだけど

これの名称って何なんだろう?

 

 

学校跡敷地に建っていたのは北栄集会所というコミュニティセンター。

ただ、帰ってきてからグーグルマップで見てみると

北海道大学理学部 訓子府地震地殻変動観測所

となっている。

 

 

建物横に石碑があったので閉校の碑かなと思ったんだけど、

家畜報恩碑と天照皇大神の石碑だった。

天照皇大神の石碑は時々神社で見かけるけど

四角柱の形状のものは初めて見たかも。

 

 

石碑を背に南側を見たところ。

左の方の三角形の空間が一番最初に北訓スポーツ広場の看板があったあたり。

 

 

東側に目を移すと太陽光パネルが並んでいる。

この辺りはグラウンドだったんじゃないかなぁ。

 

 

最後に敷地から西側の校門を見る。

周囲の木々がすごく大きく育っているのが印象に残った。

 

訓子府町立訓子府小学校は

1972(昭和47)年に訓子府町立訓子府小学校に統合となり閉校している。