次の目的地に行くときに
道端にこんな看板を見かける。
もしかしてこれも十景?と思って見に行くことにする。
入っていって大丈夫か?って思ったけど
とりあえず、様子見ながら進んでみる。
第一次伊能忠敬測量隊
到達最東端記念柱
左の看板には
を譲り隠居しました。隠居後、暦学や天文学を修め、
当時不明だった地球の大きさ、つまり緯度一度の距
離の計測を意図します。当時北海道周辺にはロシア
船が出没し、騒然としていましたから、北海道の正
確なちづを制作するという目的もありました。
ニシベツ到着は一八〇〇年陰暦の八月七日、現在
の暦では九月二五日です。折から浜では徳川将軍家
へ献上する鮭漁が盛んで、船の手配ができませんで
した。このため、ネムロ・クナシリでの測量を断念
し、この地で最後の測量をして引き返しました。
以後、伊能測量隊は一八一六年まで日本全国を十
次にわたり測量し、「大日本沿海與地全図」が完成
したのは伊能忠敬死後の一八二一年でした。ニシベ
ツは十七年十次に及ぶ伊能測量の最東端であり、聖
地ともいうべき地であります。
ここに、記念柱を建立し伊の王忠孝の偉業を偲ぶと
ともに測量を行った最東端の地を後世に伝えるも
のであります。
二〇〇四年七月
伊能忠敬研究会
とある。
樹齢130年ほどの松。
残っているのはこれ一本らしい。
ちなみにここまでの伊能忠敬も一本松も
別海十景ではなかった。
6つ目『走古丹原生花園』。
こんな時期なのでもう花は咲いていない。
なのでただただ遠くまでこんな景色。
立ち枯れしている木とかは野付半島よりも走古丹の方が
近くで見られる。
そのうち観光地化されてしまうのかな・・・。
原生花園のすぐのところに
通称 三匹の子ブタの家。
うん、今年何回目か分からないけど今日も良い感じで撮れたぞ。
7つ目の『風連湖』。
走古丹の漁港のところにある。
だいたいこの辺。
風連湖は凪で
空がきれいに海に写り込んでいる。
港にはメダカのような大きさの小さな魚がいっぱいいた。
何の魚だろう?
8つ目、『ヤウシュベツ川湿原』。
万年橋という橋が架かっている場所。
駐車場とかはない。
ってか停まってみる人いるのかって感じ。
こっちは河口の方。
こっちは上流の方。
川が少し凍っている。
川の周囲が湿原なのかな。
次の目的地は車のナビですっきり見つからず
だいたいの場所であたりをつけて向かう。
9つ目、『新酪農村』
ここには展望台がある。
以前、根室に行く途中にあったやつと同じだね。
見える景色はまぁこんな感じか。
根室に行く途中のと同じ仕様なので
やっぱり地図が付いているんだけど
同じようにもう劣化しちゃっている。
だいぶん、夕暮れになってきたなぁ。
まだ、3時とは思えない。
最後、10個目の『町立小野沼公園』。
元々は私設の公園とは思えないほど立派だ。
もう太陽が沈む寸前。
10個まわるんなら駆け足で半日ってところ。
今度は違う町の十景をまわってみるのも面白いかも。
しかし、別海町のウェブサイトに出ているのと
若干違っている気がするんだけど・・・。
さて、アパートに帰ろうかな。