留辺蘂町立上金華小学校跡を訪ねてみた。
これ石碑を目印に林道に入っていくことになる。
この林道を入っていくんだよね。
場所はだいたいこの辺り。
左側の石碑は
愛媛団体入植之地
とある。
裏側の碑文。
碑文は
梅の花ほころぶ郷里の南国伊豫をあとにして八日目一、九一
六年(大正五年)二月十二日薄暮。北海道開拓集団移民に応
募した二十九戸百二十余人(団体長宮田仲太郎)この地上ポ
ンムカに入植する。積雪二メートル、寒威骨を刺す厳冬と木
の葉がくれに僅かに空をのぞく昼なお暗い密林が団体員を迎
える。全域砂礫地帯。「五町歩の大地主」を夢見る開拓者の
意欲を拒み続ける。一、九六九年(昭和四十四年)までに全戸
離農。愛媛団体開拓半世紀余の歴史を閉じる。
一、九八0年四月建立 愛媛県人会
宮田家一同
とある。
もう一つの右側の石碑は・・・何だろ?
馬頭観世音かな~。
ちょっと昔の字なので違うかも。
裏側には昭和十五年九月十七日建之とあるので
さっきの石碑よりはかなり古い。
林道は割と走りやすいんだけど
こんな感じの広いスペースが時々ある。
う~ん、どれも同じように見える。
上金華小学校跡の石碑を見つけた。
とても学校があったような広さには見えない。
石碑の裏側には
昭和二十七年四月十七日開校したが、昭和三十年
十一月一日廃校となった。
昭和五十四年 建立 留辺蘂町
とある。
さっき林道入口にあった石碑には昭和44年には全戸離農とあったので
その前にはすでに過疎化がかなり進んでいたんだろうね。
留辺蘂町立上金華小学校は1963(昭和38)年
留辺蘂町立金華小学校に統合となり閉校している。