留辺蘂町立上金華小学校跡を訪ねてみた 2022.9.11

留辺蘂町立上金華小学校跡を訪ねてみた。

これ石碑を目印に林道に入っていくことになる。

 

 

この林道を入っていくんだよね。

場所はだいたいこの辺り。

 

 

左側の石碑は

愛媛団体入植之地

とある。

 

 

裏側の碑文。

碑文は

梅の花ほころぶ郷里の南国伊豫をあとにして八日目一、九一

六年(大正五年)二月十二日薄暮。北海道開拓集団移民に応

募した二十九戸百二十余人(団体長宮田仲太郎)この地上ポ

ンムカに入植する。積雪二メートル、寒威骨を刺す厳冬と木

の葉がくれに僅かに空をのぞく昼なお暗い密林が団体員を迎

える。全域砂礫地帯。「五町歩の大地主」を夢見る開拓者の

意欲を拒み続ける。一、九六九年(昭和四十四年)までに全戸

離農。愛媛団体開拓半世紀余の歴史を閉じる。

一、九八0年四月建立 愛媛県人会

           宮田家一同

とある。

 

 

もう一つの右側の石碑は・・・何だろ?

馬頭観世音かな~。

ちょっと昔の字なので違うかも。

裏側には昭和十五年九月十七日建之とあるので

さっきの石碑よりはかなり古い。

 

 

林道は割と走りやすいんだけど

こんな感じの広いスペースが時々ある。

う~ん、どれも同じように見える。

 

 

上金華小学校跡の石碑を見つけた。

とても学校があったような広さには見えない。

 

 

石碑の裏側には

昭和二十七年四月十七日開校したが、昭和三十年

十一月一日廃校となった。

昭和五十四年 建立 留辺蘂町

とある。

 

さっき林道入口にあった石碑には昭和44年には全戸離農とあったので

その前にはすでに過疎化がかなり進んでいたんだろうね。

 

 

留辺蘂町立上金華小学校は1963(昭和38)年

留辺蘂町立金華小学校に統合となり閉校している。