丸瀬布町立南丸小学校跡を訪ねてみた。
敷地入口には劣化の進んだ門があった。
表札は入っていないがきっと校門の跡だろう。
しばらく使途が出入りしていないのかな?と思わせる建物。
南丸会館というコミュニティセンターのようだ。
玄関周りのタイルの感じが年代を感じさせる。
グラウンドの跡かな?と思わせる場所は
周囲に屋根が掛けられている。
これは何の目的のものなんだろう?
会館の前庭には石碑が二つ並んでいた。
右側は宮城団体着手の地とある。
明治四十五年の文字があるので
北海道の開拓の中でもかなり後期になってからだったことが分かる。
左側の石碑は
南丸分校・小学校跡の碑であった。
石碑の裏側を覗くと
昭和六十年六月建之とあるので
石碑自体も40年以上前に建てられたものだったことが分かった。
丸瀬布町立南丸小学校は1970(昭和45)年に廃校となっている。