丸瀬布町立上丸小学校跡を訪ねてみた。
敷地は牧場なのかなぁ?って思うような場所。
まずは道路っプチに構造物と石柱発見。
近寄ってみる。
自信はないけど校門跡か?
対のものはなさそう。
石柱には上丸瀬布教授場・小学校跡とあった。
少しだけ奥の方に町内会館的な建物があった。
廃校後に校舎取り壊しからのコミュニティセンターのパターンかなと
いつものように撮影する。
ふと横を見ると現在は酪農で使われている木造の建物がある。
かなり劣化が進んでいるけど木造校舎?
奥の方の建物もどうにも元々倉庫だったようには見えない。
もしかしてこっちは校舎跡でさっきのは体育館の跡だったのかも。
ちょっと違う角度から遠目に見てみる。
こうしてみると校舎じゃないかなぁと思うんだけど。
丸瀬布町立上丸小学校は1965(昭和40)年に廃校となっている。
ついでに隣の敷地にあった神社も探索してみることにした。
これは丸太の社号標だろうか。
多分中央当たりの小道は元々参道で
その上にお社とかがあったのかな?
並んでいた石碑は牛魂碑。
小さな山神神社跡の石碑。
山形団体(上丸)とあるので山形県からの入植者だったんだろうね。
一番古そうな開拓記念碑。
裏側には入植者のお名前が並んでいる。
一番右上の方は大正七年とあるのでご存命だったら105歳。
ギリギリ開拓当事者の方のお話が聞ける時代だね。
この石板はなんだろう?
ご神木みたいなのを移したものだろうか?
最後にこれは何のものかさっぱり分からないやつ。
この辺で探索は終了して次の場所へ。