音別町立尺別炭鉱小学校跡を訪ねてみた。
牧草地の片隅にポツンと校門だけが残っていた。
小学校の文字だけが残っている表札。
割れた部分には尺別炭山の文字が入っていたのだろう。
左側に残っていた門の方には
園の文字だけが残っていた。
中学校かなぁと思ってたんだけど。
保育園の園かなぁ?
周囲にあった瓦礫の山は
ここに何か建物があったというよりは
集められたという感じがする。
この辺は通学路だったのかなぁって場所。
長い間に草が生えまくって道があったことも忘れ去られていそう。
門の後ろにあった木々は学校の防風林の跡だろうか。
これも建物の何かしらの部分だったんだろうか。
ちょっと離れたところから校門を撮ってみた。
向こう側から子どもたちが登校していたのだろうか。
こちら側の牧草地に校舎があったんだと思うんだけど
今はどこまでも牧草地が続いている。
2021年の航空写真。
今とほとんど変わりはない。
1974~1978年の航空写真。
大きな小学校が残っている。
1961~1969年の航空写真。
小学校の右側には中学校があり、
門のあった左側にも建物がある。
これが保育園だったのだろうか。
それにしても周囲にはたくさんの炭鉱住宅が並んでいるのに驚かされる。
近くにあったコンクリートの構造物。
鉄道がとおっていた場所と人が潜り抜けるためのものだろうか。
音別町立尺別炭鉱小学校は1970(昭和45)年に閉校している。