阿寒町立西徹別小学校跡を訪ねてみた。
敷地前には西徹別神社がひっそりとある。
敷地に入ってすぐのところには学舎の碑があった。
石碑の傍らには本の形をした沿革があった。
牛馬頭観世音の石碑。
一番の牛の字は後から彫ったっぽい。
学校跡地には多目的研修集会所が建っている。
建物裏には体育館が残っていた。
ちょっとだけ中を覗かせてもらった。
舞台の垂れ幕には小学校の校章があった。
舞台の左側には校歌の書かれたボード。
右側には阿寒町の町民憲章。
傍らにあった足踏みオルガンは
無くなった校舎から引っ越しされてきたものなのだろうか。
物品庫にはなんか色々とたくさん入っている。
埃をかぶっているところを見ると
長い時間この状態が続いているんだろうな。
体育館入口の上には
集会室落成・開校四十周年記念寄附芳名と書かれたボードが残っていた。
ここは小学校の体育館ではなく
地域の集会場としての建物だったんだねぇ。
入口の石碑にあった沿革には
大正十年四月二十二日徹別中央尋常小学校西徹別教授場として創立
とあったから、
大正10年が西暦だと1921年だから
開校40周年だと1961(昭和36)年頃か。
ちなみになんだけど物価がどのくらい違ったのかということを
比べる一つの指数として消費者物価指数ってのがある。
これでみるに令和2年を100とした場合
99.8(令和3年)÷18.8(昭和36年)≒5.3となり
現在(令和3年が最新だったので)の1万円は
当時(昭和36年)だと5.3倍の価値つまりは5万3千円相当だっと推計される。
最後に体育館(集会場)の窓がすごくきれいだったので。
阿寒町立西徹別小学校は1977(昭和52)年に
阿寒町立中徹別小学校に統合となり閉校している。