湧別町立計呂地小学校跡を訪ねてみた。
道道685号線沿いに可愛い看板があった。
看板に導かれこのダート道を進む。
曲がるところで小さな看板があった。
今更だけど、計呂地小「中」学校跡なんだね。
看板から少し入ると木造校舎が残っていた。
下の部分がレンガなのは今回が初めてかも。
校舎を正面から望む。
今は塞がれているけど当時は玄関があったんだろうね。
側面には大きな開口部があった。
トラクター的なのが出入りできるようになっているんだね。
中を少しだけ覗いてみる。
廃校後は資料館的な使い方をされていた様子が窺われる。
見取り図が貼ってあった。
郷土館資料収蔵室平面図(案)とある。
廊下部分を覗いてみる。
物がなければ思いのほかキレイに残っている感じがする。
教室があったあたりの天井。
蛍光灯が鎖でぶら下がっている。
割と新しめの印象を受ける。
自分が小学生だった時はこんな感じだったよ。
これは掲示板の跡かな?
もしかしたら黒板って可能性もありそう。
奥から開口部に向けて撮影。
今いるあたりが教室で玄関を挟み、
向こう側が職員室だったのかな。
よく見ると奥にあった牧草ロールの向こうに
立派な書が見える。
これは元々は黒板だったのかなぁ?
右下にはそろばんの跡?が見える。
あと、お名前シールが残っていた。
ここにお名前が残っている方はきっと今は50代前後ってところかな?
校舎から少し離れたところには大きな木造体育館も残っていた。
こちらも開口部があった。
校舎の開口部と同じくらいなので
体育館の大きいことが分かる。
体育館の立派な梁。
すごく素敵だ。
これだけをしばらく見ていられる。
敷地には閉校記念碑が残っていた。
沿革と校歌。
校歌は小学校の物のみが残っていた。
裏側には歴代校長とPTA会長がずらりと並んでいて、
計呂地開基八十五周年・計呂地小学校開校八十周年とあった。
建てられたのは昭和62年10月とある。
石碑の裏には階段があってその向こうがグラウンドだったんだろうね。
今は酪農関係で使われている様子だった。
湧別町立計呂地小学校は1987(昭和62)年に
湧別町立芭露小学校に統合となり閉校している