雄別炭山を散策してみたよ その3 2022.11.12

雄別炭鉱病院をあとにして周囲を散策することにした。

 

 

病院からも見えていた安全生産の看板。

 

 

雄別通洞の文字が見える。

たぶん、ここが雄別炭鉱の主力坑道なはず。

病院のすぐそばにあったんだね。

 

 

周囲はまるで古代遺跡のように

石積みだけがあちこちに残っている。

 

 

落ち葉に埋もれた大きなジョイント。

こんなのがゴロゴロあったんだろうなぁ。

 

 

ちょっと車で移動して煙突が見えるところまで来てみた。

 

 

遺跡の様でけどこの上を線路が走っていたんだろうね。

 

 

この台座っぽいのも鉄道関係なのかな。

 

 

立派な煙突が見えてきた。

 

 

遠くに見えた煙突の根元部分。

ここから先に施設が繋がっていたんだろうね。

鉄の扉の向こうには何があるんだろう?

 

 

首がいたくなるくらい上を向くと

煙突の先端が見える。

 

 

以前来た時には森に囲まれていた雄別商事購買部跡。

 

 

もう半世紀以上前に閉山になっているので

築70~80年くらいの建物になるのかな。

 

 

単なるコンクリートの箱ではなくて

微妙にデザインが入っている感じが

当時の繁栄ぶりを感じさせた。

 

 

入り口部分は鉄筋がグニグニでているので、

もう少し壁が垂れていたのかな。

 

 

開口部から中をうかがう。

病院同様すごくきれいに管理されている。

 

 

奥の方をのぞく。

思っていたより暗い感じはしない。

むしろこんなに光が入っているんだっていう印象を受けた。

 

 

外から見た時にあった四角いへこみの部分。

ガラスブロックが入っていたんだね。

 

 

ところでさっきから何か物音がずっとしてたんだけど、

ハトが何度も行ったり来たりしている。

廃墟の中で有機的な存在。

 

 

壁のぶち抜かれている部分に人がいた痕跡が見えるので

ちょっと寄ってみる。

 

 

当時のヘルメットだろうか。

炭鉱で使われていたものなのかな?

それとも購買で売られていたのかも。

 

 

二階部分に昇れる階段があったけど

ちょっと上がっていくのは(自分の体重的に)厳しいかな。

 

 

二階を支えている梁も随分と歪んでいる。

二階の壁には落書きが残っているんだね。

ってか、こんな山の中にわざわざスプレー缶を持ち込んで

意味のない落書きとかしちゃう感覚が分からん。

チラシの裏にでも書いておけよって感じだ。

 

 

入口から見て左奥の壁。

何かキレイでずっと佇んでしまう。

 

 

一番奥の開口部から。

さらに奥にも何かあったんだろうね。

苔むした石材が過ぎた時間の長さを語っている。

 

 

最後に石碑のところまで来た。

 

 

石碑は雄別炭砿記念碑とある。

 

 

石碑の裏側。

碑文には

 

雄別炭砿想いでの記

雄別炭砿は大正九年に開発され半世紀にわたり日本有数の炭砿として最盛

期には三千有余の従業員と二千五百戸の炭住街を擁し 年間六十万トンの生産を誇り

道東経済の中心的役割を果し 産業振興地域発展に寄与した功績は大であった

 然るに昭和三十年代末期よりのエネルギー革命により 石炭産業は斜陽化し 企

業合理化も存続運動もその功なく 昭和四十五年二月 閉山の悲運に至った

 閉山十周年に当り 全国各地に散った同志相計り 五十年の歴史を後世に伝へ

殉職者の冥福を祈って記念碑の建立を計画し阿寒町始め多くの関係諸氏の協力によっ

てこれが達成をみる ここに五十年の栄光と忘れえぬ想い出の数々をこの碑に託す

 昭和五十五年八月十五日 雄別炭砿記念碑建築期成会

 

とある。

素敵な文章だね。

 

石碑の隣の敷地。

タイヤが埋められてて

もしかして学校跡かとも思ったんだけど。

 

 

これなんか校門とか石碑の台座っぽくも見えたんだけど。

 

布伏内の集落まで行けば資料館があったはずなので

いつか平日にお休みがとれた時に訪ねてみたいな。