展示室4。
炭鉱と人々のくらしと銘打たれたゾーン。
ここでも出迎えてくれるマネキン。
もうここまで来ると確信犯。
安全燈が並んでいる。
ヘルメットに取り付けられていたものだね。
バッテリーパックに充電し光源を得られる機器。
炭鉱で使われていたたくさんの物品が並んでいる。
ノスタルジックな機器の数々。
今となっては他に使い道はないのだろうけど、
確かに当時最先端技術として使われていたのだろう。
炭鉱にあった友子制度に関わる資料。
友子制度とは炭鉱労働者の自治的な共済団体のことで、
夕張や美唄などの炭鉱でも同様の制度があった。
大きな疑似家族として炭鉱を支えていた仕組みなんだろうね。
労働組合に家族的な要素を足したものと理解すればいいのかな。
石炭を彫り出すための道具の数々。
炭鉱の歴史は事故と切っても切り離されない。
年表を見るとほぼ毎年と言っていいほど
事故が起こっているといっても過言ではなさそう。
昭和20年代から30年代は大きな事故は起こっていなかったが、
その後は大きな事故が閉山の引き金になっている様子。
個人的にはとても興味がある当時の街並み。
下の2枚は幾春別神社のもので
確か現地でもこの写真があったと思う。
去年、幾春別神社には訪れているので
その際に見た覚えがある。
訪れた際の様子は後日アップの予定。
最後に展示室5。
集治監と囚人というブース。
開拓当初は炭鉱労働や道路を作ったりなどは囚人が行っていたんだよね。
市来知村近傍鳥瞰図。
市来知村ってのは現在でいうと三笠市のこと。
空知集治監の様子。
集治監ってのは今でいう刑務所のこと。
こういうジオラマって好きなんだよね。
仕事をする場所、暮らす場所などが機能的に配置されていた様子がうかがわれた。
展示室をゆっくり見て回れたのでそろそろお暇するかな。
ここの資料館には何度も来ているけど、
微妙に展示が更新されているのでその都度楽しめる。
見終わって退館すると雪がやんでいい天気になっていた。
最初の画像はこっちにすればよかったな。
さて、次の場所に行ってみようかな。