湿原から戻り、開拓の村ゾーンを見学する。
あれ?煙突から煙が出ている。
左側が現在の名前。
標津町教育資料館。
右側には元々の名前である伊茶仁教育所とある。
中に入ると結構キレイ。
明るく見えるけど結構補正してこんな感じ。
この鐘で授業の時間とか知らせていたのかな?
今日は人の気配があるので鳴らしたりはしない。
入ってすぐの部屋は校長室。
中ではノートパソコンを開いて
お仕事をされている方が居た。
もしかして校長先生??
標津小学校の沿革を見ると
明治16(西暦1883)年6月16日 標津小学校創立。児童数10名。
昭和8(西暦1933)年6月16日 開校50周年記念式挙行される。
とある。
今が2020年だから137年前と87年前。
この短い鉄筋は放送の前とかのキンコンカンコン鳴らすやつ?
あれ、放送設備あったのかな・・・?
これはいつのだろう?
教室が一個しかないのでここのではないのかな?
算数の授業の教材だね。
そろばんはいつくらいまで小学校でやってたんだろう・・・?
今回は奥の教材室的なところには入れなかったんだけど
上皿天秤と分銅。
懐かしいなあ。
廊下にも教材が並んでいる。
教室では中学生くらいの子供たちが授業を受けている。
これがあったからストーブを焚いていたんだねぇ。
邪魔をすると悪いのでそろそろお暇しよう。
隣の復元された民家に来てみた。
入ってすぐの大きな土間と台所。
手前が居間っぽいので
奥が寝室だろうか。
随分お金持ちっぽいお家の感じ。
一番奥の方には番屋と網倉。
これらは中は見られないので外観だけ。
朽ち果てた随分古そうな船。
標津ー国後島海底電信基地(たぶん復元)。
中には電話交換機。
そして北方領土返還運動の啓蒙。
まだ、お昼を少し過ぎただけなので
もう少し他のところもめぐることにする。